この文書は、米国科学アカデミー・米国工学アカデミー・米国医学アカデミーの下に設置された「量子コンピューティングの可能性と影響に関する技術検討委員会(Committee on Technical Assessment of the Feasibility and Implications of Quantum Computing)」の報告書「量子計算:進歩と展望(Quantum Computing: Progress and Prospects)」(出版前のバージョン(Prepublication copy))の要約部分を、翻訳サービス会社の助力のもとに西森が日本語訳したものです。著作権者である米国科学アカデミーの許諾を得て、東京工業大学のサイトに掲載しています。要約部分を含む英文全文は米国アカデミー出版のサイトで入手できます。 本文書(要約の日本語版)のPDF版は こちらです。
2018年12月23日
2019年2月17日, 10月10日一部改訂
東京工業大学 科学技術創成研究院 西森秀稔
Translated and distributed with permission from “Quantum Computing: Progress and Prospects” (2018) (Prepublication copy) by the National Academy of Sciences. Courtesy of the National Academies Press, Washington, D.C.
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ミクロな世界の粒子の挙動を記述する物理学の分野である量子力学は、コンピューティングにおける新しいパラダイムの基盤となっている。量子コンピューティングは、非常に小さな物理系(「量子」物理系)の挙動に関する計算モデルを改良する方法として1980年代に初めて提案された。1990年代にShorのアルゴリズムが導入されると、この分野への関心が高まった。Shorのアルゴリズムが量子コンピュータに実装されると、重要な暗号解読方式の一群が指数関数的に高速化され、政府や民間の通信やデータを保護するために使用されている暗号方式の安全性を脅かす可能性がある。 実際、量子コンピュータは現代のコンピュータに対して指数関数的な高速化を図れる可能性があるとして知られている唯一のコンピューティングモデルである [1]
これらの結果は1990年代には大きな話題となったが、量子系でコンピュータを作る方法がなかなか分からず、理論的な関心に留まっていた。ほぼ25年後の現在では、量子情報を蓄えるビット(「量子ビット」)を製造し制御する技術が進歩し、いくつかの研究グループが小さな量子コンピュータで原理実証を行うところにまで来ている。こうした研究で当分野が再び活性化され民間からの大きな投資につながっている。

なぜ量子コンピュータの構築と利用には課題が多いのか

古典コンピュータは数字を表現するためにビットを使う。 一方、量子コンピュータは量子ビットを使用する。ビットは0または1のいずれかだが、量子ビットは0または1の値、または同時に両方を組み合わせた値を表すことができる(「重ね合わせ」)。古典コンピュータの状態は、ビットの集合からなる数字によって決定されるが、古典的なビットと同じ数の量子ビットを有する量子コンピュータは、対応する古典コンピュータがとりうるすべての可能な状態を同時に表すことができ、 したがって指数関数的に大きな計算問題を扱える。 しかしながら、この性質をうまく利用するためには、すべての量子ビットが密接に絡み合い(「もつれ」を形成し)、外部環境の影響を受けず、きわめて正確に制御されることが必要になる。
過去25年にわたる多くのイノベーションの成果により、量子コンピューティングのために必要な外界からの隔離と制御を実現できそうな物理システムが作られている。2018年には、大部分の量子コンピュータに2つの技術(イオントラップと超伝導回路による人工原子)が使用されているが、現在、基本的な量子ビットの物理的実装の技術が他にも多数研究されている。本分野の急速な進歩やまだまだ大きな改良が必要であることを考えると、量子コンピューティングの技術のうちの一つに「賭ける」には早すぎる(第5章参照)。
非常に高品質の量子ビットを作ることができたとしても、量子コンピュータを製作して利用するためには新たな課題がある。 量子コンピュータは古典コンピュータとは異なる動作を利用するため、新しいアルゴリズムやソフトウェア、制御技術、およびハードウェアの概念が必要なのである。

技術的リスク

量子ビットは本質的にノイズを排除できない
古典的コンピュータと量子コンピュータの大きな違いの1つは、システム内の余計な小さな変動、すなわちノイズをどのように処理するかという点にある。古典ビットは1または0のいずれかであるため、値がわずかに振れても(システム内である種のノイズが発生しても)その信号の処理過程でノイズを除去するのは容易である。実際、ビットを操作してコンピュータを構成する古典ゲートは、ノイズに対する余裕が非常に大きく、入力における大きなゆらぎを除去してノイズのないクリーンな出力を出す。しかし、量子ビットは1と0の任意の組み合わせが可能なので、量子ビットや量子ゲートは物理回路で発生する小さな誤り(ノイズ)を簡単には排除できない。その結果、実行したい量子演算を構成する際の小さな誤りや、物理的システムに入ってしまう余計な信号が出力の誤りの原因となり、最終的な計算に影響を与える可能性がある。したがって、物理的な量子ビットを使って動作するシステムにとって最も重要な設計パラメータの1つは誤り率であるが、低い誤り率を達成するのは困難である。 2018年半ば現在においてさえ、5量子ビット以上のシステムでの2量子ビット操作の誤り率は数%にもなる。より小規模なシステムでは低い誤り率が達成されているが、量子コンピュータが成功するにはもっと大きなシステムでも誤り率が低くなることが必要である(2.3節参照)。
誤りのない量子計算には量子誤り訂正が必要
量子ビット演算はノイズの影響を受けやすいが、現実の物理的な量子コンピュータで量子誤り訂正アルゴリズムを実行して、ノイズがない、すなわち「誤りが完全に訂正された」量子コンピュータをエミュレートすることはできる。 量子誤り訂正がなければ、Shorのアルゴリズムを実装するような複雑な量子プログラムが、量子コンピュータ上で正しく動作することはまずない。しかし、量子誤り訂正では大変大きなオーバーヘッドが生じるという問題がある。より頑強で安定した量子ビット(「論理量子ビット」)をエミュレートするために必要な物理量子ビットの数と、この論理量子ビットに対する量子演算をエミュレートするために必要になる演算ステップ数が極めて大きいのである。 量子誤り訂正は、将来的に誤りのない量子コンピュータを製作するために不可欠であるが、そのために必要なリソースが余りに大きいので短期的には実現が難しい。近い将来に実現される量子コンピュータには誤りが伴っているだろう。このようなマシンは「ノイズあり中間スケール量子(Noisy Intermediate-Scale Quantum, NISQ)コンピュータ」と呼ばれる(3.2項を参照)。
大きなデータ入力を量子コンピュータに効率的にロードすることができない
量子コンピュータは少数の量子ビットを使用して指数関数的に大きな量のデータを表すことができるが、大量の古典的データを量子状態に素早く変換する方法は今のところ見つかっていない [2](データがアルゴリズム的に生成される場合を除く)。大規模な入力を必要とする問題では、入力する量子状態を作るために必要な時間が、多くの場合、計算時間の大半を占め、量子コンピューティングの優位性を大きく低下させる。
量子アルゴリズムの設計は難しい
量子コンピュータの状態を測定すると、大規模な量子状態が一つの古典的な結果に「崩壊(収縮)」してしまう。 これは、量子コンピュータから取り出せるデータ量が同じ規模の古典コンピュータと同じにすぎないことを意味している。 量子コンピュータの利点を生かすためには、量子アルゴリズムは、干渉や量子もつれなどの量子独特の性質をうまく活用して最終的な古典的回答に到達する必要がある。 したがって、量子コンピューティングによる高速化を図るには、まったく新しい種類のアルゴリズムの設計原理と非常に巧妙なアルゴリズム設計が必要である。 量子アルゴリズムの開発はこの分野にとって決定的に重要な要素である(第3章を参照)。
量子コンピュータには新しいソフトウェアスタックが必要
どんなコンピュータでも、単にハードウェアを作るだけでは役に立つデバイスの開発はできない。量子コンピュータに特化したソフトウェアを作成しデバッグするためのツールがいる。 量子プログラムは古典コンピュータのプログラムとは異なるので、ソフトウェアツールのスタックをさらに開発するための研究が必要である。 こうしたソフトウェアツールでハードウェアが動作するのだから、ハードウェアとソフトウェアツールチェーンを同時に開発することによって、実際に役に立つ量子コンピュータの開発時間が短縮できる。 古典コンピュータの設計におけるやり方と同様に、初期ツールを使用してエンドツーエンド設計(アプリケーション設計から最終結果まで)を行えば、それまで分からなかった問題が明らかになるとともに、うまく行く可能性を最大限にできる(6.1節を参照)。
量子コンピュータの中間状態を直接測定することはできない
量子ハードウェアとソフトウェアをデバッグする方法は非常に重要だ。 古典コンピュータの現在のデバッグは、メモリとマシンの途中の状態を見て行っているが、 量子コンピュータではどちらも不可能である。 量子状態は、いわゆる量子複製不可能定理により、チェックのためのコピーを作ることができない。量子状態は測定すると古典ビットの集合に収縮し、計算が停止してしまうのである。 大規模な量子コンピュータの開発には新しいデバッグ手法が不可欠となる(6.4節参照)。

量子コンピューティングが出来るようになるまでの時間スケール

将来の予測は常に難しいが、現在のデバイスの延長線上にあるマシンについて、規模が何桁も大きくならない範囲では予測もできるだろう。しかし、Shorのアルゴリズムで1024ビットのRSA暗号の秘密鍵を解読するような量子コンピュータは、現在の装置より5桁以上大規模でなければならず、誤り率は現在より約2桁低くないといけない。さらに、このような装置をサポートするためのソフトウェア開発環境も必要になる。
このギャップを埋めるための技術的進歩の状況からして、誤り訂正付きの大規模な量子コンピュータが実現される時間スケールの予測は不可能である。この分野は常に進歩しているが、課題がすべて克服される保証はない。このギャップを埋めるプロセスで、現時点では予測できない問題が見つかったり、まだ開発されていない技術が必要になったり、量子力学的世界の見方を一変するような基礎科学の研究成果が出てきて状況が変わってくる可能性がある。 本委員会では特定の時間スケールを推測することはせずに、技術的イノベーションの速度に影響を及ぼす要因を明らかにし、本分野における進捗状況の目安になる2つの指標といくつかのマイルストーンを提案した(7.2節参照)。
量子コンピュータは、独自の特性や課題を持っており、古典コンピュータをそのまま置き換えるものとはならないだろう。実際、量子コンピュータの動作を制御し量子誤り訂正に必要な計算を実装するために、多くの古典コンピュータが必要である。 このため、量子コンピュータは、現在、コプロセッサやアクセラレータに似た、古典プロセッサを補完する特殊用途デバイスとして設計されている(5.1節参照)。
未知の事柄や難しい課題が多く,しかも急速に進歩している分野では,コミュニティ全体で新しいアプローチや考え方をうまく利用できるかどうかが開発速度を左右する。 研究成果が秘密にされたり、特定の企業によって独占されたりする分野では進歩の度合いははるかに遅くなってしまう。幸い、量子コンピューティングの研究者の多くは研究成果を共有することに対しオープンであり、この姿勢を続けることが本分野にとって大きな利益となるだろう(7.4.3項を参照)。
検討結果 9 :オープンなアイデアの交換や、研究グループ間の交流を促進する開放的な環境が、一層の技術進歩をもたらすだろう。 (第7章)
技術の進歩は、それを支える人的および資金的リソースの両方に依存していることも明らかである。量子コンピュータシステムの量子ビット数について、ムーアの法則のようなスケール化が起こるのではないかと考えている人も多いが、ムーアの法則は以下のような好循環に基づいて形成されたということを思い出しておかねばならない。すなわち、技術の進歩によって企業の収益が指数関数的に増加して研究開発における再投資が可能になり、それが新たな人材や企業の参入を促すことになり、技術革新を次のレベルへ進めるような循環である。シリコンの場合と同様に、量子ビットがムーアの法則的な指数関数的成長を続けるのには指数関数的な投資の増大が伴わなければならないとすると、量子コンピュータの場合にも同様の好循環(小規模マシンの商業的な成功により広範な投資が実現するような状況)が必要となる。企業の収益をもたらす進歩が中期的な時間スケールで達成されない場合には、公的資金の増加が技術の進歩を支えることになるだろう。このシナリオでも中期的な目標の達成が重要になるだろう(1.3節参照)。
量子誤り訂正のオーバーヘッドを考えると、近未来の量子マシンはノイズあり中間スケール量子(NISQ)コンピュータになることはまず間違いないであろう。誤り訂正付きの大規模な量子コンピュータには重要な用途が数多くあるが、NISQコンピュータの実際に役立つ用途(アプリケーション)は現在のところない。 NISQコンピュータのための実用的なアプリケーションの開発は比較的新しい研究分野であり、新しいタイプの量子アルゴリズムの研究が必要である。 投資の好循環が始まるには、2020年代初めまでにNISQコンピュータの商用アプリケーションを開発することが本質的に重要である(3.4.1項を参照)。
検討結果3 : ノイズあり中間スケール量子(NISQ)コンピュータの実用的・商業的なアプリケーションの研究・開発は緊急の課題である。その成果は、大規模量子コンピュータの開発のペースや、量子コンピュータの市場の規模や存続に大きな影響を与えるだろう。 (第7章参照)
量子コンピュータは一般に3つのカテゴリ・タイプに分けることができる。まず、量子ビット間の相互作用をゲート演算に分解することなく直接操作する「アナログ量子コンピュータ」である。その例としては量子アニーリング装置、断熱量子コンピュータ、および直接的な量子シミュレータなどがある。次に「デジタルNISQコンピュータ」は、物理的な量子ビット上で基本的なゲート演算により、アルゴリズムを実行する。これら2つのタイプの装置にはいずれもノイズが伴っている。誤り率やコヒーレンス時間などによって、これらの装置でどれだけ複雑な問題が解けるかが制約されてくる。最後に、 「完全な量子誤り訂正による量子コンピュータ(Fully error-corrected quantum computers)」は、量子誤り訂正による頑強なゲートベースの装置であり、いかなる計算も確実にこなせるよう、ノイズの多い物理量子ビットを使用して安定な論理量子ビットをエミュレートしている(第2.6章参照)。
マイルストーン
量子コンピュータの進歩の目安となる最初のマイルストーンは、アナログおよびデジタルシステムの単純な原理実証であった。小規模なデジタルNISQコンピュータは2017年に出来たが、その数十量子ビットの誤り率は訂正不可能なくらい高かった。量子アニーリングの開発はその約10年前に始まり、コヒーレンス時間は短いが、より急速に大規模化できる技術に基づく量子ビットを使っている。そして、2017年までには、実験的な量子アニーリング装置は約2000量子ビットを持つマシンになった。この状況を出発点にしていくつかのマイルストーンのどれかで進歩の度合いを測ることができる。一つは「量子優位性」の実証 - すなわち、実用性があるかどうかは別として、古典コンピュータで扱えない課題を解くことである。いくつかのチームがこの目標を目指しているが、2018年半ば時点ではまだ達成されていない。もう1つの大きなマイルストーンは、商業的に役に立つ量子コンピュータを作ることであり、実用的なタスクを少なくとも一つ、どんな古典コンピュータよりも効率的に実行できる必要がある。対象となるアプリケーションが古典的な手法よりも優れ、実用的でなければならないため、この後者のマイルストーンは理論的には量子優位性を達成するよりも困難だが、量子優位性の証明は特にアナログ量子コンピュータにおいて困難である。したがって、量子優位性が示される前に、役に立つ応用が見つかる可能性もある。誤り率を大幅に低下させた論理量子ビットを作製するための量子誤り訂正を実現することも、完全に誤り訂正されたマシンを製作するための第一歩となる大きな目標である(7.3項を参照)。
メトリクス
ゲートベースの量子コンピューティングの進展は、量子プロセッサの品質に関わる主要特性を見ていくことで理解できる。具体的には、1量子ビットおよび2量子ビット演算の実効誤り率、量子ビットの間の接続性、およびハードウェアモジュール内の量子ビット数である。
検討結果4 : 本委員会が知り得る限りの情報に基づけば、大規模化可能な量子コンピュータが出来る時期を予測するのはまだ早すぎる。 代替案として、短期的には、ゲートの平均エラー率を一定水準に保った上での物理量子ビットの大規模化の進行の度合い(ランダムなベンチマークで測定)、 長期的には、システム内の(誤りが訂正された)有効論理量子ビットを見ることにより技術の進歩を測ることが出来る。(第7章
論理量子ビットの数とその大規模化の進展を見ることで将来マイルストーンが達成される時機をより正確に予測できる。
検討結果5 : この分野の状況をより分かりやすく追跡するためには、コミュニティが明確な成果報告を慣習化し、装置間の比較や、この報告書で提案するメトリクスへの書き換えが出来るようにするとよい。異なるマシン間の比較が出来るようなベンチマークのアプリケーション群があれば、量子ソフトウェアの効率やその基盤となる量子ハードウェアのアーキテクチャの向上が促進されるだろう。 (第7章)
量子コンピュータの構築と利用に携わるプレーヤーたち
量子コンピュータや関連量子技術の開発が世界中で進行していることは明らかである。量子コンピュータの構築の成功のためには、基礎科学の進歩と伝統分野間を横断する新しい工学的戦略の両方を併せ持つ大規模な共同研究が必要である。
検討結果 8 : 歴史的に、米国は量子技術の開発において主導的役割を果たしてきたが、量子情報科学技術は現在、世界的な研究分野となっている。 最近、米国以外のいくつかの国が多大なリソースを投入しており、米国がリーダーの地位を維持するためには国の継続的な支援が不可欠である。 (第7章)
さらに、民間企業が米国における量子コンピューティングの研究開発環境において大きな役割を果たしている。
検討結果2 : 近い将来の量子コンピュータが商業的に成功しなかった場合、量子コンピューティングの研究開発の大幅な低迷を防ぐには政府からの資金提供が本質的に重要となるもしれない。 (第7章)

量子コンピュータと暗号技術

量子コンピューティングは、ある種の問題の計算の難しさを利用してデータを秘匿を依存している暗号技術に大きな影響を与えるだろう。大規模な量子コンピュータでShorのアルゴリズムを実行すれば、ほぼすべてのインターネット・トラフィックやデータ保護のための非対称暗号から秘密鍵を求める計算が大幅に削減される。そのような量子コンピュータが出来る前に耐量子計算機暗号を導入したいという企業からの関心が高まっている。企業や政府は、現在秘匿されている通信内容をたとえ30年後の将来であっても解読されるわけにはいかない。既存のWeb標準を更新するには10年以上かかるので、できるだけ早く耐量子計算機暗号への移行を開始する必要がある(4.4項を参照)。
検討結果 1 : 量子コンピューティングの現状と最近の進展度を考えると、RSA 2048や同等の離散対数ベースの公開鍵暗号システムを脅かす可能性のある量子コンピュータが今後10年以内に作られる可能性は極めて低い。 (第7章)
検討結果 10 : 現在の暗号を解読できる量子コンピュータの開発に10年以上かかるとしても、そのようなマシンの危険性は十分に高く、かつ、新しいセキュリティプロトコルに移行する時間は長く不確実である。セキュリティやプライバシーが甚大な被害をこうむる可能性を最小限に抑えるためには、耐量子計算機暗号の開発、標準化および展開が不可欠である。 (第7章)
量子コンピュータが現在のプロトコルに与える大きなリスクを考慮して、量子コンピュータが解読できない耐量子計算機暗号、非対称暗号を開発するための努力が鋭意なされている。 これらは2020年代に標準化されるだろう。 暗号解読に対するShorのアルゴリズムの潜在的有用性は、初期には量子コンピューティング研究の主要な動機だったが、量子耐性を有すると考えられる暗号アルゴリズムの存在は、暗号解読における量子コンピュータの有用性を減少させるため、 Shorのアルゴリズムが長期的に量子コンピューティングの研究開発の推進要因となる度合いは減少するだろう(4.3項を参照)。

量子コンピューティングを推進するリスクと利点

実用的な量子コンピューティングが達成されるには、重大な技術的障壁を超えなければならず、それらが克服される保証はない。 量子コンピュータの構築と利用には、デバイスエンジニアリングだけでなく、コンピュータサイエンスや、数学から物理学、化学、材料科学に至るまで数多くの学問分野が融合する領域で大きな進歩が達成されなければならない。しかし、これらの努力は派生的な利益も生む。 例えば、量子コンピューティング研究開発の結果はすでに、量子重力の分野や、古典アルゴリズムの改善の動機付けを通じて古典コンピュータ科学の進歩に役立っている。
検討結果 6: 量子コンピューティングは、人類の宇宙に関する理解につながる基礎研究を推進する上で貴重である。 すべての基礎科学研究と同様に、この分野における新たな発見は新しい知識と応用に結びつくかもしれない。 (第7章)
誤り訂正機能を持つ大規模な量子コンピュータを作るためには、大きな困難を乗り越えなければならない。量子コンピューティングが成功するためには、これまでにない高水準の量子コヒーレンス制御が必要であり、既存のツールや技術の改善で可能性の限界を広げたり、さらには新しいツールや技術を開発しなければならないだろう。量子コヒーレンス制御を利用する量子センシングや量子通信などの関連技術もこうした進歩を活用できる可能性がある(2.2節参照)。
検討結果 7 : 大規模な量子コンピュータの実現可能性はまだはっきりしないが、実用的な量子コンピュータを開発する努力は多大の恩恵をもたらし、量子ビットベースのセンシングなど、近い将来における量子情報技術の他の用途にも貢献するだろう。 (第7章)
量子コンピューティングの知的および潜在的な社会的利益に加えて、この研究は国家安全保障にも影響を及ぼす。大規模で実用的な量子コンピュータを所有する組織は今日の非対称暗号システムを破る可能性があり、これは情報(諜報)上の大きな優位性を意味する。このリスクは認識されており、量子暗号解析に対して強い暗号システムを作成、展開する取り組みが始められていて、量子耐性を有すると現在考えられている候補がいくつか存在する。しかしながら、政府や民間のシステムにポスト量子暗号を導入しても、その後の通信を保護することはできるが、攻撃者が既に傍受した暗号化データのセキュリティリスクを取り除くことはできない。 もちろん、Shorのアルゴリズムを走らせられる量子コンピュータが出来るのに時間がかかり、それにつれてデータの重要性も低くなれば、リスクの度合いは低減する。また、新しい量子アルゴリズムやその実装が新しい量子暗号解析技術を生む可能性がある。サイバーセキュリティ技術一般に当てはまることだが、ポスト量子耐性についても継続的な研究が必要である。
しかし、国家的な安全保障問題は暗号技術以上の意味を持っている。 より重大な戦略的問題として、将来の経済および技術のリーダーシップがある。 歴史的に、古典コンピューティングは社会を変えるような大きな影響を与えてきた。量子アルゴリズムを産業や研究に適用する可能性は探究され始めたばかりだが、量子コンピューティングが現在の計算の限界を超越する可能性があることは明らかだ。 量子コンピューティングによって多くの計算領域で効率を改善できる可能性があり、米国の強力な量子コンピューティング研究コミュニティをサポートすることには戦略的な価値がある。

結 論

本委員会では、量子コンピューティングの今日までの進歩に関して公開されている情報に基づき、大規模で誤り耐性を持つ量子コンピュータを構築できない根本的な理由は原理的にはないと見ている。 しかしながら、そのようなシステムを構築し価値あるタスクに対して実際に役立つ状況へ持って行くにあたっては、重大な技術的課題が残っている。 また、公開された領域での実用的なコンピュータ実現の時間スケールは、近い将来における成功や商業応用、米国内外の研究コミュニティの頑強さや開放性によって決まってくる資金投入水準に影響される。 本分野における進捗の度合いは、「検討結果3」で提示された指標により測ることが出来る。大規模で誤りが訂正された量子コンピュータがいつ構築されるか(そもそも構築出来るのか)どうかに関わらず、量子コンピューティングと量子技術を継続的に研究開発することにより、人類の科学知識の水平線が広がってゆき、今後得られる成果は我々の宇宙に対する理解を一変させる可能性もある。


[1] これら初期の理論的結果により、量子コンピュータのユニークな潜在的能力が実証された。 拡張されたChurch-Turing のテーゼによると、他のすべての既知のコンピューティングデバイスの性能は、非常に単純な「ユニバーサル」コンピュータである確率的チューリングマシンよりも多項式的にしか高速ではない。 量子コンピュータは、このテーゼに反することが知られている唯一のコンピューティング技術である。
Nielsen, Michael A., and Isaac Chuang, “Quantum computation and quantum information(量子コンピューティングと量子情報)”(2002):558-559. Kaye、Phillip、Raymond Laflamme、Michele Mosca, An introduction to quantum computing(量子コンピューティング入門). Oxford University Press, 2007.

[2] この機能を実行できる量子RAM(Quantum Random Access Memory, QRAM)が提案されているが、この報告書の時点では、実際に実装された技術はない。